「話し合いたかっただけなのかもしれない」


職場の行事について、自分の知らないところで外部へお知らせが出ていたことに違和感を覚えた。

私も関わっているはずのことなのに、知らない間に話が進んでいるのだろうか。
実際にはまだ決まっていないのに、そのように進んでいるような報告だったのだろうか。

よい方に考えれば、外部の方が予定を立てる際に心づもりができるよう、早めにお知らせしただけなのかもしれない。

でも、まったく話題にも上がっていないことが、そのように報告されていると、モヤモヤが止まらない。

私は何にモヤモヤしているのだろう。

例年その時期に行うことが多いから、ひとまずお知らせしておきましょうということなら、それも含めて話したかった。

誰がそうしようと思ったのか。
なぜそうしようと思ったのか。
そうしなければならなかったのか。

それを知りたいというよりも、それ以外のことも含めて話し合う機会がないまま進んでいることに、不満を感じているのだと思う。

困っている子どもたちや、もめている子どもたちには、
「どうしたい?」
と聞く。

お互いを理解し合うために。

それは大人も同じだと思う。

勤務時間が合わないから。
残業をしないようにしているから。
休憩も十分に取れないから。

そんな理由があったとしても、肝心の業務について話さなくていいのだろうか。

最近、自分が何にモヤモヤするのかに敏感になってきた。

そして、聞くこと。
聞いてもらうこと。
対話すること。

それが私の大切にしたいことなのだと気づいてきた。

では、今の状況をどうしていくといいのだろう。


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